
昨日は、古神道と合気道の修行でご縁をいただいている、
山蔭神道上福岡斎宮の年次大祭でした。
私は今年も、楽を奏でる伶人のお役を有り難くも賜わり、
神官入退場の際の、神迎えと神送りの神楽笛、そして
玉串奉奠での龍笛を奉じます。
どうか私が、神の通り道となることが
できますように・・・
どうか私が、意図なしに無心に音を放つ
ことができますように・・・
私は笛を神に捧げながら祈りました。
神への祈りは私への祈り。
私への祈りは神への祈り。
神道は心道。
私の心が澄み渡るとき、神が音(おと)ずれます。
祭式の流れを一瞥しながら、私は満を持して待ちます。
音が放たれるのを・・・
音がその時に合わせるように生まれます・・・
私は、ほとんど、
しかして私自信の思考を知りながら、
そしてそれをも一瞥しながら、
音とともにありました。
それでも私は、どれだけ自在だったのでしょう。
それでも私は、どれだけ関知せずにいることが
できたのでしょう。
それでも私は、どれだけそこに在ることができた
のでしょう。
うまずたゆまずの錬磨は、うまずたゆまず続きます・・・
神道は、心道なり。