禅密気功の修道を始めてから、もう10年以上になり
ますが、上級功法のコースは年数回しか行われない
ため、私は仕事の都合もあって、今回久しぶりに練功
に参加することができました。
昨日一昨日と、二日間に渡って行われた上級功法は、
「灌頂法」です。
禅密灌頂の法は、自力と神力との合力の功法ですが、
まずはいくつかの呪印の作法を行じ、体内の気を動かし、
禅密灌頂を修得する為の準備を行います。
そして、天伝法(正功)に入ります。
根源の精妙なるエネルギーを天頂より灌頂していきます。
私は絶え間なく降り注ぐ光を向かい入れ、そしてその根源
の光を崇敬しながら、特殊な所作とともに、天人地の果てし
ない循環の中に身を投じてきいます。
私は真善美の天意を、魂の奥から、とても純粋に伝えたく
なりました。
特殊な密法の所作にもよるのでしょうが、自分自身が
天から光を頂き、その光に満たされると、その光を自然と
人に届けたくなるのです。
これまで、古神道の行などでも、何度も体験してきたこと
ですが、不思議なものです。
頂いたら与える、与えるからまた頂く・・・
いや、むしろ、与えることと頂くことが同時なのです。
与える、という意識のとき、゛我゛は薄くなり、薄くなるから
こそ、さらに頂けるのです。
実はこの「灌頂法」の目的は、ここに到ることでもあるの
ですが、私は光の中で、与えることの至福をあらためて
体験しました。
その後は、自分と外界との境が曖昧になり、自分も光、
周りも光、その光と光が融合していく法悦を味わいます。
ゆっくりと目を開けたときには、私は空有合一の静かさと
調和に満たされました。
6月30日の夏越の大祓のお行に続いて、光の祝福の
時間を二日間も賜わったこと、これはもう感謝以外に何
もありません。
いつもながら、日常に戻ればこの感覚は薄れていきます
が、こうしてリセットし、自分と、そして天地と繋がる時間を、
意識的に選択し、そして、天意を届けるべく(布施)、備えて
いきたいと思います。
~内には道を修め、外には徳を修める。
この二者は実は一者なのである。
功徳無量、その上、妙用は無限である。
禅密気功の修道者は、「禅」を主体とし、
「密」用い、広く布施し、世の人のお役
に立つことである。~
(禅密気功についての詳しいことは
http://homepage2.nifty.com/zkikou/
をご覧下さい)
ますが、上級功法のコースは年数回しか行われない
ため、私は仕事の都合もあって、今回久しぶりに練功
に参加することができました。
昨日一昨日と、二日間に渡って行われた上級功法は、
「灌頂法」です。
禅密灌頂の法は、自力と神力との合力の功法ですが、
まずはいくつかの呪印の作法を行じ、体内の気を動かし、
禅密灌頂を修得する為の準備を行います。
そして、天伝法(正功)に入ります。
根源の精妙なるエネルギーを天頂より灌頂していきます。
私は絶え間なく降り注ぐ光を向かい入れ、そしてその根源
の光を崇敬しながら、特殊な所作とともに、天人地の果てし
ない循環の中に身を投じてきいます。
私は真善美の天意を、魂の奥から、とても純粋に伝えたく
なりました。
特殊な密法の所作にもよるのでしょうが、自分自身が
天から光を頂き、その光に満たされると、その光を自然と
人に届けたくなるのです。
これまで、古神道の行などでも、何度も体験してきたこと
ですが、不思議なものです。
頂いたら与える、与えるからまた頂く・・・
いや、むしろ、与えることと頂くことが同時なのです。
与える、という意識のとき、゛我゛は薄くなり、薄くなるから
こそ、さらに頂けるのです。
実はこの「灌頂法」の目的は、ここに到ることでもあるの
ですが、私は光の中で、与えることの至福をあらためて
体験しました。
その後は、自分と外界との境が曖昧になり、自分も光、
周りも光、その光と光が融合していく法悦を味わいます。
ゆっくりと目を開けたときには、私は空有合一の静かさと
調和に満たされました。
6月30日の夏越の大祓のお行に続いて、光の祝福の
時間を二日間も賜わったこと、これはもう感謝以外に何
もありません。
いつもながら、日常に戻ればこの感覚は薄れていきます
が、こうしてリセットし、自分と、そして天地と繋がる時間を、
意識的に選択し、そして、天意を届けるべく(布施)、備えて
いきたいと思います。
~内には道を修め、外には徳を修める。
この二者は実は一者なのである。
功徳無量、その上、妙用は無限である。
禅密気功の修道者は、「禅」を主体とし、
「密」用い、広く布施し、世の人のお役
に立つことである。~
(禅密気功についての詳しいことは
http://homepage2.nifty.com/zkikou/
をご覧下さい)

今日は夏越の大祓が各地の神社で執り行われる日。
半年間の災禍厄難を祓い清める日です。
私は、今日から10日間のアメリカ修行に旅立つ妻を、
成田行きのリムジンバスが出るバス停まで見送ってから、
自宅に戻ってまずは水の禊ぎを。
そして、ご神前に静かに着座します。
夏越の大祓の日に合わせて、この半年間の我が身の
祓い清めと、これからの全ての弥栄のために、朝の
お行に入りました。
いつもよりゆっくりと、丁寧に、最初の所作を行い、
続いて結んでいく印も、天地との呼応を確かめるように、
ゆっくりと契っていきます。
天恩拝謝,地恩感謝,自霊拝謝の真言を印とともに唱え、
禊祓詞,萬霊供養,大祓詞と奏上していきます。
とりわけ、大祓詞は、音霊の響きを一つ一つ感じながら、
天下(あめがした)の平安の祈りとともに奏上しました。
調息法、そして五大母音の音霊行法は、それこそ半年間
の罪科穢れを解き放ち、祓い清める想いで行じます。
そして鎮魂行法へ。
意識が静まっていくのに合わせて、私は白い光で満たされて
いきます。
私の肉体も、魂も、澄んで清まわっていくようです。
静かな悦び・・・
静寂と拡がり・・・
外界と内界の交流・・・
そして 弥栄の祈り・・・
私は久しぶりに、深い平安を得ました。
私は久しぶりに、深く自分と繋がりました。
曉明とともに。
神の光とともに。
ここのところ、日常の慌ただしさに、毎朝のお行も義務的
になりがちでしたが、こうしてゆっくりと丁寧に行うことの
大切さを、あらためて思い出しました。
夏越の大祓の今日
私は 白い光で清められ そしてまた
こうして 再生させていただきました・・・
ありがとうございます。
今日の瞑想は、さほど時間が経たないうちに圧倒的な光と
波動を感じました。
強烈なバイブレーションに、歓喜と恐怖が錯綜します。
そのまま委ねていけばいいのでしょうが、肉体と意識が耐えられず、
いや、これまで馴れ親しんだエゴが悲鳴をあげて抵抗し、その大い
なる光と一つになることができませんでした。
途中、たまらず、あっ、あっ、あーっ、あー!、あー!
と声を出してしまいましたが、それが無意識による肉体
レベルの調整なのか、抵抗なのかは分かりません。
終わった後は、心地よさが残りましたが、少し残念でした。
今、全体の波動レベルが上がり、これまでの枠は否応なしに
はずされていきます。
今日、瞑想で体験したこと、日常の意識レベルでも、そのまま
当てはまるのでしょう。
私はいまだに、次のシフトへと抵抗しているのかも知れません。
そう、圧倒的バイブレーションの光が怖いのです。
エゴが消滅していくのが(と思っている)、怖いのです。
波動を感じました。
強烈なバイブレーションに、歓喜と恐怖が錯綜します。
そのまま委ねていけばいいのでしょうが、肉体と意識が耐えられず、
いや、これまで馴れ親しんだエゴが悲鳴をあげて抵抗し、その大い
なる光と一つになることができませんでした。
途中、たまらず、あっ、あっ、あーっ、あー!、あー!
と声を出してしまいましたが、それが無意識による肉体
レベルの調整なのか、抵抗なのかは分かりません。
終わった後は、心地よさが残りましたが、少し残念でした。
今、全体の波動レベルが上がり、これまでの枠は否応なしに
はずされていきます。
今日、瞑想で体験したこと、日常の意識レベルでも、そのまま
当てはまるのでしょう。
私はいまだに、次のシフトへと抵抗しているのかも知れません。
そう、圧倒的バイブレーションの光が怖いのです。
エゴが消滅していくのが(と思っている)、怖いのです。
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